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自習室

こもります

代替現実(SR)システムによる体験型パフォーマンス「MIRAGE」を体験してきた

技術 日記

SRについてはこちら


パフォーマンスアート MIRAGE についてはこちら


研究内容、パフォーマンス内容については、上記のプレス、記事、サイトをご参考なさってください。


現実と地続きな仮想

どうしてこういったデモに今まで出会ったことがなかったんだろう。どうしてこんな研究がこれまでなされてなかったんだろう、って思うくらい、しっくりくる研究内容だし、しっくりくるパフォーマンスだった。悔しい。研究として、アートとしてくやしい。


これまでも「現実が入れ替えられる」体験はあった。たとえば名探偵コナン的推理もの。事件現場には監視カメラがあって、事件現場は常に監視されていた。カメラには犯人らしい映像は映っていない。しかしいつの間にかハックされて監視カメラの映像がすり替えられたり、止められたり、繰り返されたものを見せられたりして、その間に犯人は犯行に及ぶ。監視カメラは絶対本物であると信じていると痛い目に遭うパターン。


今回のはそれをリアルタイムに目の前でやる。リアルタイムに目の前でやるとどうなるかというと、それは体験者にとってただの現実になる。いま、映像ではない世界…自分以外の多くの人が見て感じているだろう客観的現実世界…で何が起きているかはさして問題ではなくなる。問題は直前まで自分が現実だと思ってたところから切り離される瞬間にのみ発生する。


ここが下手だと体験者は「あぁなんか作られたコンテンツを見せられてるんだな」って感じになっちゃうけど、このSRシステムとMIRAGEはうまーく作ってあって、藤井先生の言葉を借りると「地続き」なのだ。感覚器と時間軸はちょっとずつSRシステムにゆだねられていくし、完全に任せきった後も、一部は客観的現実のままを受け入れている。ここをちゃーんと地続きにしてやると、そこから先はすべてが体験者にとっての現実になる。

たくさんの「人」がその場にいることで作られる、現実への信頼感

ショートトークの時の藤井先生の資料には次のような一枚があった。

脳が信じるおはなしを地続きに与えれば
多少の齟齬は、脳が嘘で補正してくれる。
スペックはあまり重要ではない

今回のシステムでは、その場の客観的現実に人間が関与しているという信頼を体験者にはじめに作ることが非常に重要なのだと思う。具体的には、映像に出てくる演者は実際に外で演じている演者と同じ人たちだし、今回は観客もいるという前提があった。体験者のSRのために多数の人が生で協力しているのだ。それらを知った上で、体験者はエイリアンヘッド(HMD)をかぶる。


ひとりぼっちで映像に没入していたら、それがどれだけ高精細だったり、完璧なサラウンドだったりしても、結局それを現実として受け入れることはしないのではなかろうか。上の引用の言葉もそういったことを意味しているように思う。


もしかしたら、映像中に出てくる演者全員は生では必要ないかもしれない。「触れちゃうよね」「今そこにいるよね」という感覚を作るために演者を何人まで減らすことができるのか、はおもしろい検討事項だと思う。それと、観客の存在も。自分と同じかそれに近しい体験をしている別の人物がいるという信頼感が、SRシステムの体験の地続き感にどれだけ寄与しているか。これもとてもおもしろい検討事項だと思う。

エイリアンヘッドという頭脳

自分の感覚器を使って自分が構成したものが現実だと言われる。ぼくは今回「エイリアンヘッドを通して見た世界」ではなくて「エイリアンヘッドの中で作られているもの」、「エイリアンヘッドという別の脳を頭に差し込まれた」ような感覚を体験してきた。

# そのような感覚を作り出すためにエイリアンヘッドの大きさは貢献しているのでは?とすら思った!



エイリアンになった僕。

藤井先生とお話しするバージョンも体験してみたい!

慶応大学の南澤先生が僕の直後に体験されていて、帰りが一緒になったので少しお話させていただいた。南澤さんは今回のパフォーマンスとは別の、SRシステム内で人(藤井先生)とお話しする、というデモも体験されたらしく、そっちの方がもっと「ストレスフルだった」という表現をされていた。


今回のパフォーマンスはモダンダンス的なものだったのだけど、体験者は興味がなくなったり、現実なのか過去なのか(それ以外の何かなのか!)わからなくなったら、「現実っぽいなにかよくわからないけどそういうもの」としてあきらめて受け止めてしまうこともできる。僕は少しそうなってしまった。


しかし、会話するバージョンだと体験者はあきらめることを許されない。「そこに相手がいる」と思ってちゃんと会話に応答したらそれがただの映像だったり、「いまはただの映像だろ」と思って相手しないでいたら、実際はちゃんと相手が話しかけてきてたりする。これが非常にストレスフルであることは想像に難くないし、たぶん想像を超えているのだろう。そしてよりいっそう意味不明になるのだろう。

発展?

SRシステムは、藤井先生の社会的脳機能についての研究プラットフォームとして作られている。なので、このシステムそのものをなにか世のため人のために役立ったりおもしろかったりする道具として使おうという質のものではないのだけど、メーカーのエンジニアとしてはやはりそういうことも考えてみたい。考えてみる。